
【よりよい医療を受けるために 特別レクチャーシリーズ 第1回】

大病を患い、インフォームド・コンセントだ、セカンドオピニオンだ、といっても、実は専門用語の羅列であり、どの治療方法がベストかといった選択は、一般消費者には、そう簡単にはできない。
医療コーディネーターという職業をご存じだろうか。 医療サービスの提供者と受療者の間に立って、実務者としての経験をベースに、あらゆることを調整・提案、精神的なケアまで受け持つ医療ソリューションビジネスだ。
実は、そうしてコーディネーターが受ける相談の多くは、経済的問題でもあり、患者さんが加入している生命保険の保障内容の確認も大切な作業の一つになっている。例えば、手持ちの預金が底をついても、リビングニーズ特約が使えれば、治療の選択肢が広げられ、QОLを確保できることもあるからだ。保険の募集人が果たす役割は大きい。
中間法人日本医療コーディネーター協会の嵯峨崎泰子理事長に3回にわたり医療とのかかわり方についてレクチャーをしてもらう。
患者の望む医療を実現できた
友人からの相談で
私自身がガンで療養し外出もできるようになったころ、友人から「父親が脳腫瘍で手術を勧められているが、本人は頑に拒否をしているので、主治医を説得して欲しい」と頼まれたことがありました。身内に医療関係者もいないので、医師の説明もよくわからないと言います。私が、看護師から医療系商社へと転職していたため相談もしやすかったのでしょう。
ここで大切なのは、なぜご本人が徹底的に手術を拒否したのか、ということです。医療の現場では、こういう話は意外に抜け落ちてしまうものです。
例えば、患者さんが「なぜ手術を嫌がるのか」は必ず理由があり、それにまつわるストーリーがあるものなのです。この患者さんも例外ではありません。(当時から)遡ること7年前、早期の耳下腺腫瘍が見つかり摘出の手術を受けたのですが、麻酔から覚めたとき、ものすごく痛くて苦しかったそうです。「2度と麻酔をかけてやるような手術はしたくない」と思うのも無理がありませんでした。
経験しないと分からないのですが、麻酔をかけるような大きな手術は、術後、それなりに苦痛を伴うものなのです。患者さんに「痛かったら痛み止め使いますよ」とは言うのですが、人によっては、半端なものではありません。医療者は、自分の体験していないことには配慮に欠いてしまうことがあるのです。
主治医に提案
主治医から現状と治療方針の説明を受けたのですが、ご本人がどうしても手術を受けたくない、と言っている旨、お伝えしました。医師の返答は「手術をしなければ死にます。この病気に関してうちの教授は権威だからきっとうまくいきますよ」と取り合ってくれません。
ご本人の猛烈な拒絶を思うと、医師が提示した治療方針をそのまま受け入れるわけにもいかず「手術以外の方法はないのか」と聞き返すと、医師がきょとんとした表情を作りました。
13年も前のことです。患者側から治療方針を否定されたり、他の方法はないか、といったことを聞かれる経験があまりなかったのだと思います。今日のように、インフォームド・コンセントやセカンドオピニオンが当たり前になっている時代ではなかったのです。
「例えば、ガンマーナイフ(放射線治療の一種)とか血管内治療のコンビネーションでやるのはいかかでしょうか」とこちらから提案してみました。看護師であることはお伝えしてあったのですが、具体的な治療方法を問われると驚かれ、後手ながら手術以外の方法について否定的な理由を説明してくれました。
手術以外の治療法がなぜダメなのか、事前に説明があれば患者さんも納得したにちがいありません。それでも、本当に手術しか道がないのか、専門家に尋ねることをしぶしぶ承諾していただきました。
主治医から紹介を受けたドクターが、たまたま私も知っている方で、意思の疎通も早かった幸運にも恵まれたのですが、手術をしなくてもいけるのではないか、との判断をいただきました。結果として、手術以外の道に進むことができました。
手術なら失敗だった
結局、カテーテルによる塞栓術を行い、腫瘍をある程度小さくしガンマーナイフをかけました。元の主治医は画像から見て良性腫瘍との診断でしたが、セカンドオピニオンの医師は、単独の良性腫瘍ではない可能性があることを見抜き、再検査をすると、耳下腺腫瘍が再発していました。脳の奥へと延び、ガンも大きくなっていて、部位的にも手術の適用はあり得ません。手術の選択は間違いだったわけです。
第三者の立場で問題をクリア
口コミで評判に
セカンドオピニオンの成果ですが、だからといって延命が保証されたわけではなく、ご家族は長くは持たないとの宣告を受けていました。結果として8ヵ月後に亡くなるのですが、手術を受けずに、亡くなる直前まで自分のことは全部自分でやって、最期は心不全による頓死でした。
ご家族は「本人らしい生き方ができた」と非常に喜んで下さり、この件をきっかけに、いろいろと患者さんをご紹介いただくようになりました。
まだ、コーディネーターという名称は使っていなかったのですが「嵯峨崎さんに頼むと、自分らしい生き方ができるし、治療方法を選ぶにしても力になってくれるわよ」と口コミで広がっていきました。療養を機に商社も退職していましたので、相談を受けやすい環境にはあったのですが、あくまでボランティアのつもりでした。
ところが、交通費を請求して欲しい、謝礼を受け取って欲しいということになり、ビジネス化していくことに戸惑いもあったのですが、患者さんやご家族のお役に立てた結果として受け入れていくこととし、職業としての医療コーディネーターの原形ができていきました。
第三者として
ただ、この仕事は本来看護師が携わるのが基本ではないか、との思いもありました。患者さんが病状について医師から説明を受けたとして、ふつうは、言いたいことが言えない、聞きたいことが聞けないものなんです。看護師がそうした患者さんの気持ちを汲んで、媒介役を務めてくれるのが自然な姿だろうと思います。
いま医療の現場は忙しく、患者さんとなかなか向き合えないのも事実です。日々の業務をこなすので精一杯という物理的な要因に加え、どこかの病院に所属していれば、そこのリーダーは医師なので、別な治療方法を推すことはなかなかできません。
外部の人間ならその点、患者の代理人・代弁者として意見を言えます。わたしたちの仕事は、まさに第三者の立場として問題をクリアしていくことにありました。
〝マインド〟を持った同士が全国に
同志との出会い
2000年に縁があって『生命と医療にかける橋』(生活ジャーナル社刊)という本を上梓し、色々なところから声が掛かり始めました。
当時の私は、患者さんからの相談業務を続ける一方、あるシンクタンクの受託調査員として医師との接点があり、また商社時代に築いた医師とのネットワークが相当大きくなってきていたのに加え、看護師の経験から現場も分かる立場にいました。活動のベースができてきたとの実感もありました。
ただ、孤軍奮闘でしたので、全国で同じような活動をし、志を一にする人たちとのめぐり逢いはとても心強いものでした。現在、日本医療コーディネーター協会の斉藤ゆかり副理事長もそうして出会った一人です。
協会の前身となる集まりもでき、そうこうするうちに、テレビ朝日の「ニュースステーション」で私たちの活動を紹介してもらう機会に恵まれました。当初は違う企画だったようですが、取材の過程で私たちと接点ができ、特集のような形で放映になりました。
当時5人しかいないのに、これでテレビに流れたら大変だ、ということで急遽協会を設立し、窓口を作りました。案の定、翌日から何百件もの問い合わせを受けることになりました。半分は患者さんから、半分はコーディネーターになりたい、という問い合わせでした。
05年から本格的に
コーディネーターについては、必要なものを教育するべースが何もなかったので、教育システムができるまでお待ちいただくことになりました。協会の法人化も含め、完成したのは2年後、2005年でした。
協会の中に設けた養成コースは、対象者を現場経験が5年以上、実質トータルで医療とか社会経験が10年以上ある、30歳以上の医師・看護師に限定しました。最初は40人でスタートし、待ちの人が百人単位でいる状況でした。基礎講座は200人以上受けたのですが、そのうち認定したのは半分ぐらいです。仕事としてコーディネーター専業は無理など、それぞれに理由があったのですが、いまの仕事の中でスキルとして生かしたい、というスタンスを私たちも積極的に容認・支援してきました。
コーディネーターの業務は独立してやるだけでなく、病院のなかでそうしたマインドをもって働いていただければ、少しでもあるべき医療環境に近づけていけるのではないかと思っています。
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さがさき・やすこ
看護専門学校、日本女子大学卒業。各科臨床看護師を経て医療専門商社に勤務。03年日本医療コーディーネーター協会を設立。生命保険の営業職員の経験もある。



